蕎麦屋を開いて十七年

きっかけ
退職してから17年、それは「そば処阿弥陀瀬」の年齢でもある。蕎麦屋をやる気になったきっかけは、写真仲間の友人が、自宅で蕎麦好きな知人を集めて私の「蕎麦を食べる会」を開いてくれたことに始まる。彼らが私の蕎麦を食べた感想は、「美味しい、プロに負けない」と言う事だった。漠然と考えていた蕎麦屋開業はこの会でその気になった。

準備・客の好みを考えて
それから1年(退職2年前)、準備に入った。蕎麦屋を開業する為の適当な場所が見つからず。幹線道路から遠く、周辺に観光地もない、私のセカンドハウスを使う事にした。改装はインテリアを含め中高年女性の好みの店にした。この層は、グループで行動し、そして雰囲気のいい美味しい店なら、遠くとも交通の便が悪くとも探して来てくれる。そして宣伝はお手の物で、頼まずともやってくれる。蕎麦の方も男性には少し物足りないと思われるが、女性好みの
「のどごし」を重視した一九(そばこ9割繋ぎ1割)にし。蕎麦つゆも甘みを強くした鰹だしにした。天ぷら粉も吟味し、揚げ油は色と香りを重視した油を用意した。食器やお膳もこの層の女性が好むものにした。
そしてもう一つこの層を喜ばせると同時に店の利益になると思われるミニギャラリーを増築した。中高年女性は暇になり趣味は多彩である。しかし自分の作品を発表する場所と販売の場所がない。そこで使用無料の本格的ギャラリーがあれば山奥でも利用する可能性は大きい。この作品展、個展に集まる人たちが蕎麦を食べてくれる、コーヒーを飲んでくれる確立は非常に高い。そして店が完成し12月に仮オープンした。

苦渋の時期
宣伝もしないので客も来ない。やがて雪がくる。駐車場の雪かきをしても一台の車も来ない日々が続き、12月24日クリスマスイブに冬休みに入る。この冬休み期間に、来年4月の本オープンに向けて客寄せの手立てを友人と考えた。

イベントと宣伝 そして様々な人達との出会い
・店への案内看板を主要道路に数カ所設ける。
・店へのDM(ダイレクトメール)、催し物のDMをフル活動する。
・イベント「何々と蕎麦を食べる夕べ」を企画する。
・販売コーナーを設け、手芸品や民芸品を販売する等々。
4月1日、本オープン。直ちに案内看板を二個所に設置する。5月にギャラリーもオープン。オープン記念は友人(退職と同時に写真協会入会、プロになる)の写真展。6月は掛け袱紗展、7月は絵手紙展、8月はちくちくの仲間展(古い着物を新しいデザインの洋服に改造する)と続く。DMをフル活動させ。新潟日報の催し物案内欄に掲載。宣伝に努める。
9月に初イベント。催し物は「津軽三味線と蕎麦を食べる夕べ」。友人と絵画教室の主催者Oさんの努力で開催。100名の観客を集める。その後も、綿貫氏らは「琴と尺八の夕べ」、「フルートと二胡の夕べ」等と次々に企画し入場者平均80名と成功させた。
友人のほかにイベント企画・展示企画でお世話になった人に日本民芸協団新潟支部長の?氏がいる。彼は毎年春、店のオープンに自分の写真展を企画する。店のリピーターはいう、「春は百都の写真展」と。
彼の専門の民芸の方では、久留米絣の有名工房「藍森山」の作品の展示と講演会。「民芸の中の民芸」と言われる大分県の小鹿田焼の展示即売会と彼の小鹿田の里の写真展を同時開催。愛媛県の民芸陶器戸部焼の展示即売会。富山県「八尾風の盆」の有名作家、小林秋路の直筆絵画展示と御長男の?氏による「父、秋路と風の盆」の講演会(先年、富山市で同じ内容で章一氏の講演会は大盛況だった。)など、私どもの店の為にいろいろ奮闘された。

蕎麦打ちの鉄則
本命の蕎麦屋の方では、新津の「そば処善三郎」の主人中村氏(北方文化博物館の伊藤館長との関係で知り合う)に大変世話になった。彼は私の蕎麦屋経営の師匠であり、また蕎麦打ち勉強仲間である。彼からそば粉の善し悪し、良い粉の仕入れ方等々、蕎麦屋経営について学んだ。
水廻し、捏ね、のばし、切る。この単純な作業が蕎麦打ちである。この単純作業の中に小さな注意点が多数ある。ここを怠ると不味い蕎麦になる、この小さな注意点について二人で良く話し合った。ここでも私が彼に教える事よりも彼から教えられる方が断然多かった。

「蕎麦が立つ」
小さな事と言えば伊藤館長から「蕎麦が立つ」という言葉を頂いたのもこの頃だった。「蕎麦が立つと言うことは、蕎麦の角が立つと言うことで、蕎麦生地を蕎麦包丁で切るときに良く切れる包丁で切ると蕎麦の角が直角になる。切れない包丁や機械切りでは角がつぶれる。うまいと言われる有名蕎麦屋の蕎麦は必ず蕎麦が立っている。この鋭利な角があるかどうかで、のどごしが違う。心するように」と。開店してから17年、人に、「そば処阿弥陀瀬」を知って貰う為に企画した、何々の夕べは14年前に終了。ギャラリーは自薦他薦で埋まり、集客力のある手芸教室の発表会にも使われるようになった。
また、テレビ、雑誌の取材が入り、一昨年は「美味しい蕎麦100選」に選ばれ、私の蕎麦がその冊子の表紙になったりした。お客は、開店時80%、現在でも70%が中高年女性であるが、最近インターネットの普及で男性や、若い女性、親子連れの夫婦が訪れるようになった。
私も77才、体力も衰え、脊柱管狭窄症で腰もきかなくなり、疲れやすくなった、そろそろ店を閉める時期を考える必要が来たような気もする。

新潟公立高校退教

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする