各地の教育現場が反動化の方向にどんどんつき進んでいる気がしてならない。
全退教の一員として看過できない現象が、最近やたら目につき出した。上からの「押し付け」道徳教育の徹底ぶりである。『教育勅語』の暗唱という幼稚園教育が問題視されて以降、各地の教育現場が反動化の方向にどんどんつき進んでいる気がしてならない。
どこへ行っても、全校一斉の道徳。教室、廊下のあちこちに道徳に関する掲示物がやたら目につく。授業も学年ごとに進め方、板書が一致している。
退職後、近畿一円の小学校で子育ての講演に招かれることが増えた。多くは参観後なので、早めに行って授業も参観させていただく。どこへ行っても、ほとんどが全校一斉の道徳。教室、廊下のあちこちに道徳に関する掲示物がやたら目につく。授業も学年ごとに進め方、板書が一致している。授業の流れと結論がすでに分かってしまっているからか、参観している親はほとんどが白けた表情かおしゃべり。
私が最も危惧するのは、ほとんどの若い教師が何の疑問や抵抗もなく、ごく当たり前のように授業を展開していること
それより、私が最も危惧するのは、ほとんどの若い教師が何の疑問や抵抗もなく、ごく当たり前のように授業を展開していることだ。
そういえば、最近おもしろい体験をした。他府県のある小学校から、校内研修の講演依頼が舞い込んだのだ。そこは、よりによって道徳教育の推進校。雑誌『どの子も伸びる』の編集に長年関わってきた私は、『官製道徳』批判の原稿を書きまくってきた身。いったい何を話せばいいのか尋ねると、「先生の道徳に対する考えを率直に語ってほしい」とのこと。だったら簡単、とばかりに引き受けた。
私は道徳教育否定論者ではない。むしろ、民主的な道徳教育は意識的に展開してきたつもりだ。地域の保守的な方が私の授業を参観されたあと、「先生こそ本物の道徳教育をされている」と高く評価してくださったこともある。
私は、講演の柱を二通りの道徳において解説していった。つまり、やらなければならない道徳とやってはいけない道徳だ。
上から押し付けられた道徳を何の疑問も持たずに教えることが一番こわい。戦争が長年続いた最大の理由は、教師が教育勅語をはじめとした道徳教育を熱心に展開してきたからだ。教師の責任は非常に重い
最後に、若い先生から質問を受けた。「道徳の教科書ができ、評価もすることになった。どう思うか?」私は、ずばり言い切った。「教科書のほとんどはずぶの素人が書いた話。これで子どもが育つとは思えない。上から押し付けられた道徳を何の疑問も持たずに教えることが一番こわい。戦争が長年続いた最大の理由は、教師が教育勅語をはじめとした道徳教育を熱心に展開してきたからだ。教師の責任は非常に重い。」
終了後、校長先生が感想を述べられた。「何の疑問も持たずに教科書教材をこなす青年たちにしっかり考えてほしかったんです。やはり先生を呼んでよかった。道徳の重要性と危険性をきちんと話してくださった」。この発言にこちらが励まされる一日だった。
京退教