旧東海道を歩く  一番の難所は、やはり箱根越え

「旅」にはストレスを解消してくれる魅力がある。「中山道歩き」は高崎で中断したが、私はまた2017年正月から月1回「旧東海道を歩く」企画に参加し始めた。
今度は1人でなく集団での旅であった。1回目は客寄せの意味もあり、参加費も格安で昼食も有名料亭の幕の内であった。名古屋と岐阜からバス4台で参加者が集まり、三条大橋から山科までの間を長い行列が続いた。中には杖をついて歩く老婦人もいたが、だんだん距離が長くなり、気温も上がり、費用もかさみ、回を重ねる毎に参加者は減り、池鯉鮒(知立)に着いた時には、名古屋・岐阜の合併グループで19人となり、この旅は岡崎で中止となってしまった。

岡崎からは別の会社の企画に参加することにした。ところが、藤枝からの旅の時、申し込みを忘れ、それ以降は1人で旅を続けた。1人旅は荷物を自分で運び、コース、宿、切符の手配等全て自分でしなければならなかったが、参加申し込みの手続きや耳障りな説明がなく、好きな日に安く行ける点も良かった。
泊を伴う旅は荷物が多く重量も増え、何を減らすかで迷った。毎日着替えなくても良いと思うようになった。藤枝からは1泊2日の
旅になり、藤枝、静岡、三島、箱根、平塚に宿を取った。
一番の難所は、箱根越えであった。三嶋大社を発って、まもなく登り坂になった。富士山はきれいに見えたが、元箱根の宿にはなかなか着かなかった。

4時半頃芦ノ湖畔に着いた時は食堂が全て閉まっていた。食べ物屋を探しているうちに日が落ち、不安になってきた。こういう時には、大きなホテルが頼りと箱根ホテルに飛び込み、ようやく夕食にありついた。暗くなったので、やむなくタクシーを使ってゲストハウスへ。安宿はそれなりの訳があった。いつでも風呂に入って結構ですとの主人の言葉に、急いで裸になって飛び込んだ風呂の浴槽は空であった。

3月の箱根は肌寒く慌てて衣服をまとい主人に抗議した。主人は悪びれることなく「ああ、外人さんはシャワーだけだからね。」と言って平然としていた。これには参った。更に布団をかぶったら布団が臭うのである。これも布団から顔を出し我慢して寝た。この種の宿(素泊まり3850円)をよく外国人旅行客が使うらしい。玄関先にあったチラシも横文字で書かれていた。

 翌日は元箱根から旧東海道の急坂を一気に小田原まで下ることになった。石畳と石段の多い旧道は私にはきつかった。初めに向こうずね、太ももが痛くなり、ついに以前痛めた左膝の関節まで痛くなった。更にそれをかばう右脚にも来てしまった。脚を引きずるようにして家に戻った。家でも痛みに悩まされた。

1週間ほどで筋肉痛はおさまったが、関節痛はとうとう医者の世話になった。1月後、小田原から戸塚まで歩いた。あと43キロで日本橋である。少し無理をすれば1泊2日で旧東海道を踏破できる。その時には東京在住の友人と食事をし、帰宅後、まわりの友人や知人などにしゃべりまくろうと思っている。付き合う方は迷惑な話だろうが、これも私のストレス解消になる。
愛知高退教

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする