手作り全退教長野ツアー 百歳まで生きよ 信濃は蕎麦の花

お別れの挨拶の冒頭に「いい旅行でしたか」と問いかけてみました。「よかった」とたくさんの声をいただきました。
<百歳まで生きよ信濃は蕎麦の花>の句をお返ししました。快晴の3日間、晩秋の信濃路、それに加えて、食べ物の美味しさ、人と人のいい交わりがあったのでしょうか。

1日目は、松本駅アルプス口に13時集合(108名)。あらかじめ連絡ずみの1~3号車のバスにて受付、1号車は松本城、2,3号車は開智学校に向かいました。歴代藩主六家が司る幕府の要衝の地松本に建つ松本城は戦乱に合うことなく月見櫓などの優雅さを加えながら四百年余の風雪に耐えてきました。その歴史を感じていただけたでしょうか。開智学校が廃仏毀釈の廃寺の木材を使っていることから教育県と言われた当時の信州の動向に関心を示していただけたでしょうか。
諏訪大社下社春宮から万治の石仏を見学しました。諏訪は御柱祭の地、地域全体がこの祭りを支えています。案内ガイドには長野高退教会員もいます。また宿舎での懇親交流会での木遣り唄の披露も高退教会員のいる地元の保存会の方にしていただきました。樅の巨木四本が御柱として神社の周囲に建てられおり、えんえんと続く樹木との共生文化の歴史を感じることができました。

<御柱山曳き里曳き夏を曳く>

万治の石仏

万治の石仏は岡本太郎が何回も訪ねたそうですが、造形のユニークさにあらためて感心しました。句碑「一番に乙鳥(つばめ)のくぐるちのわ哉 一茶」がかたわらにありました。
宿泊の『RAKO華乃井』の懇親交流会では、参加の各ブロックの方々に舞台に上がりあいさつをしていただきました。諏訪出身の小口太郎作詞「琵琶湖周航の歌」を来年の旅行担当の滋賀退教の皆さん方と長野高退教の面々で歌いました。
懇親会後は、部屋で二次会をする者、カラオケをする者、囲碁に興じる者、風呂でゆっくり寛ぐなどそれぞれでした。これが旅行の楽しみの一つなのでしょう。

満蒙開拓平和記念館

2日目は、リニア新幹線の工事現場視察と満蒙開拓記念館。小渋川の急峻な谷合いにある大鹿村のリニア新幹線工事現場は、昭和36年の大崩落現場の近くにありました。崩落現場は自然の猛威の跡が今でもはっきり分かるものです。災害の原因はいくつかありますが、木を伐ったことがその一つだと強調されていたことが印象に残りました。自然破壊と開発の矛盾を山奥の村でまざまざと感じさせられました。
外部からは目立たぬように強引に粛々と続けられるリニア新幹線工事を見ると、沖縄の基地問題と通ずる思いをいだきました。大鹿村のAさんからリニア新幹線建設の問題を講演していただきました。Aさんは都会から大鹿村へ来られた方ですが、住民の支持により議員になって反対運動を続けています。
昼食は水引の里。昼食は満足いただけたでしょうか。お土産を買われた方も多くいました。長野県の林檎が欲しいという方には受付でお渡しした長野生協のチラシを紹介しました。
バスは阿智村にある満蒙開拓記念館に向かいました。バス内ではDVDで満蒙開拓の史やその証言を聴いていただきました。満蒙開拓記念館は想定外の15万人の来館があったそうです。元阿智村村長の尽力もありますが、若者も含む多くの協力者により記念館建設事業がなされ維持されています。

大鹿村大西観音

当時の国策による満州での現地人の土地を奪う加害や逃避行の悲劇を記録として残している記念館は、平和友好への道を切り開いていると、案内の真摯な語りの中に感じました。また当時の自治体や教育団体はこの国策を後押ししましたが、気骨ある村長によって大下条村は満蒙開拓団を送らなかった貴重な事実も学びました。
映画『望郷の鐘』の満蒙開拓残留孤児の肉親捜しに生涯をささげた僧侶山本慈昭さんは記念館の近くの長岳寺の住職でした。嬉しいことに我が長野高退教の大先輩は88歳の高齢も関わらずお元気で記念館の仕事をしています。
記念館見学後、阿智村公民館で記念館専務理事の寺沢秀文さんの講演を聴きました。思いのたけが語られ今後の平和活動の決意を感じさせるいい講演でした。

昼神温泉『グランドホテル天心』がこの日の宿です。
近くに熊谷元一写真童画館があります。お疲れかと思いましたがここの見学希望者は60名もいました。熊谷さんは小学校教師。私は写真「つかんだぞ(蛇)」の子ども達の生き生きとした顔に感動しました。みな熱心に見学されていました。一見に値する写真童画館です。映画監督熊井啓さんも絶賛です。
夜の交流懇親会は盛り上がりました。神坂神社・木賊獅子は物語性があり、いいものをみせていただきました。続いて八丈太鼓、中華服の踊りは早業の5回の着替え、最後は「信濃の国」の長野県勢の合唱で幕になりました。その後は三々五々ゆったりと休んでいただきました。有志のカラオケは10人ほどあつまり、お国のご当地ソングなどで交流し参加者はご満悦のようでした。

朝市

3日目、早朝の野菜の並ぶ朝市に脚を運ばれた方も多くいました。帰宅してからの食卓をイメージされた買い物のようでした。
バスは朝8時、紅葉の木曽谷の妻籠宿に向けて出発しました。空は眩しいほどに晴れ、妻籠の家並みに旅情を感じていただいたようです。

その後バスは紅葉の木曽路経て解散地の松本に向かいました。1~3号車には若い頃に木曽谷の高校で過ごした元教師が一人ずつ乗車してガイドをつとめました。私もその一人でした。
教え子の嫁いだお蕎麦屋さんを紹介しながら <教え子の嫁ぎし家に鯉幟>という私の句を披露しました。「御嶽山を見たい」というリクレストが車内からだされました。国道沿いではただ一か所見えるところがあります。雪をかぶり白煙を上げる御嶽山を見たときは車内から声が上がりました。

送られつ送りつ果は木曽の秋 芭蕉

木曽妻籠脇本陣

木曽谷には木曽谷の人情があります。そんな人情を感じる旅をまたされるといいでしょう。
バスは予定通りに松本に到着し、最後の昼食弁当をいただき、別れを惜しみながら解散となりました。
ふり返ってこの旅行をみますと、ホテル、案内ガイド、交流会の出し物など、長野高退教の人脈を使いながらの手作り感のあるものでした。その心が参加者につながっていい旅行だったと感じていただいたのだろうと思いました。

長野高退教

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